去る7月23日(火)に開催された『ORIENTAL BOXING NIGHT<東洋拳闘家対決>』は、大盛況のうちに無事終了いたしました。
ご来場の皆様、ご協賛いただきました皆様、本当にありがとうございました。
また、出場いただいた選手の皆さん、そして関係者の皆さん、お疲れさまでした。
当日は、今回の興行の趣旨に格別のご理解をいただいた参議院議員の片山さつき先生、そして日頃からご支援いただいているフィリピン大使館の駐在官の皆さんをはじめとした来賓の方々をお迎えして、各選手がその技能と闘魂を余すところなく披露いたしました。
我が勝又ジムの選手たちも果敢奮闘、大変良い試合をしてくれました。
で、結果は6回目2分33秒、レフェリーストップによるTKO勝ちでした。
今回の対戦者であるタイのアナンタチャイ・ソーポーロークルンテープ選手は、プロボクシング戦績こそ11戦8勝3敗ですが、アマチュアで30戦23勝7敗、ムエタイでは140戦108勝28敗4分という驚異的な戦績を誇るつわものです。
案の定、接近戦でのやり取りは巧妙で、かなりやりづらいとみえ、秘伝の左フックもなかなか思うように出ません。それでも2回3回と回を重ねるうちに相手の癖も呑みこめてきたのか、4回以降はペースをつかみ、6回ラスト30秒の声に合わせたようにレフェリーが試合を止めました。
「チョット早いかなぁ」という気もして、もう少しやらせれば白黒はっきりするとは思いましたが、完全に燃料切れのようになっていたので、レフェリーの判断は正当だったと思います。
最初、初めての8回戦と勝ちへのこだわりからか、少々上がり気味の若松は持ち前のプラッシャーをかけられず苦戦していましたが、さてこれからという3回。相手の肘鉄を食らい負傷。ドボドボとしたたり落ちる血に染まって試合中止。
結果は、相手方の反則による失格で若松勝利ですが、ちょっとスッキリしない、若松にとっても不完全燃焼気味の試合でした。
この反則、若松自身が強くアピールしたため、各ジャッジの合意のもと反則が認められましたが、当初、レフェリーはバッティングといっていました。一番近くで見ているのですから安全性確保の観点からも間違ってもらっては困ります!
対戦相手は、船橋ドラゴンジムの中井雄規選手。今回が初の8回戦。結果は3R初めにジョビーのパンチが炸裂してKO決着。
対戦者のポーゲオ・チャラームチャイ選手はとてもチャーミングな選手で、ボーイッシュなハニーと対照的な雰囲気でした。
ところで、ハニー・カツマタのリングネームですが、実は彼女の本名から来てるのです。彼女の本名はHONEY MAE BERMOY。で、みんなからハニーと呼ばれてます。そんなわけで、勝又ジムの外国人選手の習いでハニー・カツマタになったのです。
入場曲も「キューティーハニー」で、「ハニ~、フラッシュ!」っていう感じになってもらいたいものです。
そういえば、先日入国管理局に手続きに行ったとき、私が「ハニー、ハニー」って大声で呼ぶものだから、周囲の人たちが「なに?このおっさん」っていう目で見るのです。同行のフィリピン人から「会長あんまり大きな声で“ハニー、ハニー”って言わない方がいいですよ」と指摘。ハニーをみると確かに恥ずかしそうな、迷惑そうな顔をしてました。
当日は私の高校時代の友人の一人で現在日米を股にかけてビジネスを展開するポラルド・ユキコさんが、宇宙飛行士の山崎直子さんの旦那さんで、宇宙関連のビジネスも手掛けてらっしゃる宇宙飛行士の山崎大地さんを紹介してくれました。
さて、9月30日には「第3回日比対決“FIL-JAPAN BOXING FESTIVAL”」です。
休む暇もなく次に進みます!応援お願いします!!
[参考資料①]
ごあいさつ
プロモーター 勝又 洋(勝又ボクシングジム会長)
本日は、勝又プロモーションとUNITEDボクシングジムの共催による「ORIENTAL BOXING NIGHT《東洋拳闘家対決》」をご観戦いただき誠にありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
JBC(日本ボクシングコミッション)第2代コミッショナーの真鍋八千代氏が「東洋ボクシング連盟の目的は、ボクシングを通じて東洋各国の友好、親善に寄与することにあります」と述べられた、日本ボクシング界の歴史と権威の淵源である「東洋」の枠組みを再考すべく、このイベントは企画されました。
言うまでもなく、日本・タイ・フィリピンの3カ国は自他ともに許すボクシング大国で、「ボクシングを通じて加盟国相互の親善と協力の確立」することを目指して組織された東洋ボクシング連盟(OBF、のちのOPBF)の原加盟国です。この3カ国のボクサーたちが“聖地”後楽園ホールで一堂に会し、日ごろの鍛錬の成果を如何なく発揮する文字どおりの拳闘家対決です。
今回は、タイおよびフィリピンから4名づつのボクサーを招聘し、女子公式戦を含む9試合が行われます。暑い夏の夜に、日泰比3カ国のボクサーたちよって繰り広げられる熱い戦いは、戦後の東洋民族の活躍の原点を今に再現するものです。
メインには、ベテラン長井祐太選手(勝又)とムエタイ出身の強豪アナンタチャイ選手(タイ)、昨年暮れに東洋選手権に挑んだ奈須勇樹選手(角海老宝石)と新進気鋭のレネ・ラッケル(比国)の2試合、そしてアンダーカードにも多くの注目カードが用意されています。
また、このたびは、武神音楽出版のご協賛を得て、会場の演出に新風を取り入れました。この試みを通じて、プロボクシングの試合会場がより楽しく、より美しいものになって、ファンの皆様の魂が大きくゆすぶられることを確信しています。
なお、試合の様子は、Web放送局「アスリート・ジャポン」のご協力でライブ配信され、《東洋拳闘家対決》を世界中で同時に楽しむことが出来るようにいたしました。
この小さな一石が幾重もの波紋となって、東洋拳闘家たちの活性化と結実することを願ってやみません。
それでは、ORIENTAL BOXING NIGHTのゴングです。どうか最後までお楽しみください。
[参考資料②]
「東洋」に還ることの歴史的意味——お祝いの言葉に代えて
「Oriental Boxing Night 東洋拳闘家対決」の開催、まことにおめでとうございます。この大会の実現に尽力された多くの関係者の皆様に、心からの敬意を表します。同時に、今夜の国際競技大会を通して、日本とフィリピン、タイがこれまで以上に厚い信頼関係で結ばれるよう祈念いたします。
さて、本日の試合に登場する選手の出身国は、ボクシング界の戦後復興に尽力した国々です。東洋選手権はこの三カ国を中心に、1950年代には84回、60年代には158回も開催されました。これらの牽引がなければ、東洋ボクシング連盟(現・東洋太平洋ボクシング連盟)の設立はもう少し遅かったかも知れません。世界選手権への道が遠く険しい時代に、東洋王座への挑戦は第二次世界大戦によって疲弊した多くのスポーツファンを活気づけました。
ところで、なぜこの三カ国による競技大会がそもそも「東洋一」を謳うことができたのでしょうか。サッカーワールドカップ・アジア予選を引き合いに出すまでもなく、私たちが今日、「アジア」ととらえる国々は広範囲にわたっています。この疑問に答えるためには、時計の針をアメリカ占領期まで戻さねばなりません。よく知られているように、大東亜戦争や八紘一宇などの言葉は、帝国を支えたイデオロギーとしてGHQによって否定されました。公文書や教科書で、それらの使用が厳しく禁止されたことは言うまでもありません。植民地の建設が正当性を失った20世紀半ばにおいて、日本のアジア進出を支えた「民族解放」の理念は、新たな統治者によって消し去られたのです。
政治的な次元であけすけにナショナリズムを唱えることができなかった時代、東洋は東亜や大東亜に代わる地域概念として注目されました。この言葉は、帝国主義とは一線を画する価値中立なニュアンスを持つことを期待されました。ただし、戦後日本のアジアに対する認識は、政治的な野心と無関係だったわけではありません。外交の舞台では、岸信介元首相が東南アジアを二度にわたって歴訪(1957年)するなど、早い時期から日本のアジア回帰が目指されていました。1952年から東洋選手権を催していたボクシング界に、人々の関心が向けられたのは当然の成り行きでした。大戦中に多大な戦禍を被ったフィリピンとの間においてさえ、そのスタートは日比賠償協定と対日平和条約が批准される4年前という異例のスピードだったのです。国際政治からボクシングへ。ナショナルな国民意識が生み出される現場は、「東洋一」の掛け声の下に興行という虚と実が入り交じった空間にシフトしていったのでした。
今日、新聞紙上では毎日のようにアジアの動向が報道されています。とりわけ、深刻な環境破壊や格差問題を抱えながらも、国内総生産(GDP)において世界第二位に昇格した中国に対する日本人の関心は非常に高いと言えるでしょう。2013年4月に出された国際通貨基金(IMF)のレポートでも、「世界経済の復興の鍵を握るのはアジア諸国である」ことが高らかに謳われています。我が国を代表する電機メーカーであるソニーや松下電器(現パナソニック)はかつて、「メイド・イン・ジャパン」をフレーズに世界=アメリカの眼差しを過剰に意識したキャンペーンを張りました。しかし、アジア経済の成長や国家間の関係深化によって、再び私たちはアジアに視線を注ぐようになったのです。本日の興行は、そうしたわれわれの認識をボクシングの世界で実践するものです。本日、ご来場の皆様には、「東洋拳闘家対決」を単なる歴史へのノスタルジーではなく、現在進行形の変化を写し出す鑑としてお楽しいただければ幸いです。